とばり・・・

とばり・・・

とばり・・・

 日毎に薄れていっている、そんな気もしています。
 忘れているんじゃなくてただやる事があって頭の中に浮かばないだけだと思いたい。
 前から家にいるのかいないのか、弟たちがいるとあまり出て来なかった事も多い。
 むさしやつむじの相手ばかりして放ったらかしていたから今の状況とそんなに変わりはない。
 でも・・・

 何でもない毎日が、
 何気ない日常が、
 触ろうとして蹴られても、
 ただいてくれるだけで良い、
 特別なイベントが無くっても、
 どこかへ旅行に行けなくても、
 甘えてきてくれなくても、
 ただ、そこにいてくれれば良い…


 何から書けばいいのか分かりませんが、支離滅裂になる事を許して下さい。
 皆さんにご報告しなければならない事があります。
 やど有の開業前から自分と一緒に暮らし、このやどと一緒に成長して来た、
 とばりを亡くしました。
 世間では首里城が焼け落ちた次の日、今月の初め11月の1日の朝の事です。
 覚悟なんてしていたつもりでも想像もしていない事に覚悟なんて出来るはずもありません。
 いつもの毎日はいつも突然終わるものなんですね。

 夏が終わり沖縄にもそれなりに秋の気配が訪れ、色々と抱えながらも修学旅行生を受け入れる時期になり、それなりに忙しくなっていました。
 むさしの腎臓病の状態も、治癒する臓器ではないのですが日々の点滴投薬をがんばってくれて調子は良い日々が続いています。
 その一因はやはり深夜に5~8kmも歩いているウォーキング、でしょうか。
 GPSなんて付けさせて楽しんでいましたね。
 だから他の色々な事も、少しづつ少しづつ取り組んで良くして行って、みんなで、すっとこのまま暮らしていけると思っていました。
 とばり、わた、まだら、ほむ、むー、つー、ケンカしながらもドタバタと楽しい毎日が続いていくと、思っていました。
 その前の日、久しぶりに外で食べて飲んで帰り、朝寝坊していました。
 8時過ぎ、目覚めると少し前に着信があり、かけ直すと下の会社の人が出て、数日前に話していた事についてかなとか考えているとお兄さんが
 『裏の海沿いの道で猫が死んでますけど・・・』

 初七日も終わり十日も過ぎた今だから、少しはまともに考える事ができます。
 その時は、覚えているけど覚えているのかいないのか記憶にあるのか曖昧なのか。
 その言葉で窓から見えたその瞬間は、今でも脳裏に焼き付いています。
 そこからは何を考えていたのか、何も考えていなかったのか、頭の中はどうなっていたのか。
 裸足で駆け出し階段を飛び降りて裏の道まで飛び出して見えたその身体を手に取って抱き起こして名前を呼んで抱きしめて名前を叫んで・・・
 電話をくれたお兄さんも他の会社の人も、道を通る車の音も散歩をする人の足音も、聞こえてはいました。
 でも、そんなのはどうでもよかったんです。
 誰にどう見られてもなんて思われても何を言われてもよかった。
 ただずっと、ずっとずっとその場にうずくまって抱きしめて体を揺すりながら、名前を呼び続けていました。
 『とばり』の名前を・・・

 どれくらいそうしていたのか、長かったのか短かったのか、何も分かりません。
 自分がこんなに泣く人間だとは思ってなかった。
 どっちかと言うと冷静を装ってるタイプだと思っていた。
 そう思っていた自分が、恥も外聞もなく、道端にうずくまって鼻水が垂れるのも気づかず、
 ただ、ただとばりの事だけを想って、それ以外頭になく、泣き叫んでいました。

 その後家に帰ってからも、玄関に座りとばりをずっと腕に抱き続けていました。
 名前を呼んで、身体をさすって、
 『どうして?』
 『なんで?』
 『目を覚まして・・・』
 沖縄なりに朝の空気は冷え込んで来て、とばりの身体も冷えていたはずが、少しあったかく柔らかくなってきたんです。
 とばりは女の子だったからか、みんなの中で一番毛も柔らかく身体も柔らかく、本当に触り心地が良く女の子だったんです。
 そんなとばりの感触が戻った様な、目を覚ましてくれるんじゃないか、でもそれは・・・
 ずっと、ずっととばりを抱きながらそんな事を考えたり、目も閉じさせてあげようとか、手や脚も楽な姿勢にしてあげようとか、
 ずっとずっととばりを抱いて名前を呼んで、涙を流し続けていました。

 それでもむさしの薬もしてあげないと、それを思い出したのはとばりが言ってくれたのかも知れません。
 薬が終わり、とばりと一緒に家の中も全て周りました。
 とばりがいたベッドの下、わたとだけ飛び上がれる梁の上、好きだった洗面所の水、隠れていた洗濯機の中、遊んだテラス、かけ上がった階段、走り回った屋上・・・
 この家の全てがとばりの場所でした。
 それから、とばりの好きだったイスに座りとばりを抱いて、海を眺めていました。
 その時に何を考えていたのかは、もう思い出せません。
 ただ、泣き続きていました。
 涙って止まらないもの、そんな事は聞いた事はありました。
 そしてこんな時に人はどうなってどう行動するのか、どう言う風にしてどう言う風にすればいいのか、どんな声をかけてあげればいいのか慰めてあげればいいのか、そんな事は知っていたつもりでした。
 色んな事を見て聞いて知っているつもりの、知ったかぶりの自分は、全部知っていました。
 でも全部、知っているだけでした。
 何をどうしようがどう考えようがどう思おうが、涙は出てくるんです。
 少し落ち着いて止まったと思っても、また涙は流れて来ました。
 知っていたからどうだって話です。
 とばりは、帰って来ない・・・

 その夕方、火葬に行ってきました。
 たぶんボーッとした頭ながら、少しは考えていたのだと思います。
 何が良いのか悪いのかも分からなかった。
 でも火葬に行ってきました。
 そしてお骨になったとばりと一緒に帰ってきて、みんなと顔を合わせて、そしてまた泣きました。
 泣いて、泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて、どれだけ泣いても涙が出てくるんです。
 次の日はとばりの写真を見返していました。
 全てじゃないですけど見返して、思い出し、そして泣いていました。
 ずっと、ずっと泣いていました。

 丸二日は何もしてませんでした。
 その後は、少しづつ動いていました。
 とばりのお家を綺麗にしないと、とやどの仕事でもある掃除をしました。
 いつもよりも丁寧に、念入りに、とばりが見て怒らない様に。
 そうやって、身体を少しづつ動かしました。
 そうすると、お腹も空いてくるものですね。
 二日はほとんど食べてなかった。
 ケーキとか、チョコとかお菓子とか。
 二日目の夜に雑炊を少し、そして三日目の夜に少しごはんを。
 そうやって、生きていかないとダメなんだ、
 動いて、食べて、それが生きる事なんだ、と。

 そうやって、家の中じゅう掃除をしていると、嬉しいことがありました。
 頭がおかしくなったとか気がふれたとか思われるかもですが、
 とばりが家の中どこにでもいるんです。
 ほうきにじゃれついてくるちびっ子のとばり、
 げた箱の下に隠れていたとばり、
 二段ベッドの上で寝ていたとばり、
 トイレ掃除を見ていたとばり、
 洗面所を洗う邪魔をしてくるとばり、
 階段から見下ろしていたとばり、
 ベランダから監視作業をしているとばり、
 テラスで日向ぼっこをしているとばり・・・
 そんなとばりが見えるんです。
 声が聞こえるんです。
 体温を感じるんです。
 こんな事もありふれたよく聞く話ですよね。
 そう思いたいだけの願い、だとは分かっています。
 科学的にどうのこうのだとか、説明も出来ません。
 でも、僕たちにはとばりが見えるんです。
 声が聞こえて喋ってきてくれて体温を感じる事もできるんです。
 普通におかしいってのも分かってます。
 でも、とばりはここにいるんです・・・
 覚えているのは数回だけですが、前に夢の中にとばりが出てきてくれた事がありました。
 ペンギンを猛スピードで追いかけていたとばり、わたからメールで今日は美味しい晩ごはんだって聞いたよって言ってたとばり、5才くらいの女の子の姿だったけどすぐにとばりだって分かった時のとばり。
 もっと出てきてくれてたんでしょうけど、覚えている中でのとばりは、僕に喋りかけてくれていました。
 今も、喋りかけてきてくれます。
 以前よりもよく。
 おかしい事でしょうし、分かってはいる、でも、嬉しいんです・・・



 とばりは、最初このやどを始める前にいた建物で出会いました。
 家族が少しづつ引っ越していき、最後に取り残された。
 もしかしたらそのままにしていたら母親が帰ってきて連れて行ってたのかもしれません。
 でもその時、僕の方へ来てくれたそのちっちゃな姿を見て、
 『俺のところに来い!家族になろう!!』
 って思ったんです。
 それからドタバタの毎日が始まりました。
 知らない事だらけで周りの人に聞いたり何かあるとすぐ病院に行って名前もすぐ覚えてもらったり、大変だけど楽しくって嬉しい毎日が始まりました。
 そしてスクスクと育ち、可愛くって綺麗な女の子に育っていきました。
 生後半年が来て、避妊手術を考える事になり、悩んで悩んで手術は受けさせたのですが、その時に覚悟をしたんです。
 『いつか来るその日まで、しっかりと親として責任を持って育てていこう』
 それからはもうとばりが中心の毎日でした。
 でもおかげ様でそんなとばりをたくさんのお客様も可愛がってくださいました。
 可愛いね、美人さんだね、そう言ってもらえる度に、自分が褒められている様でとても嬉しくなり、ますますとばりが可愛くなっていきました。
 親バカと言われるのが嬉しかったんです。
 沖縄では暴れん坊の事をウーマクーと呼ぶらしいです。
 子供の頃からおてんばで、ウーマクーちゃんと呼ばれたりして気の強いところは見せて、でも本当は甘えたがりでよく膝の上に来たり引っ付いて寝ていました。
 そんなとばりも一歳を迎え立派に育ち、本当に美人さんになったねって褒めてもらっていた夏過ぎ、隣の空き地で大声で泣き叫んでいるチビっ子がいました。
 それがわたつみでした。
 わたも母親に取り残されたのを二階から見ていて、夜になり雨が降り出しとばりと顔を見合わせて
 『いいか?』って聞いてから、わたはウチの子になりました。
 そこからは僕にとってもとばりにとっても新しい試練の毎日でした。
 わたはお姉ちゃん大好きっ子に育っていったのです。
 最初は良かったんです、ヨタヨタと歩いていた頃は。
 少しづつ大きくなりとばりを追いかけていける様になって、チョッカイかける様になると、元々うるさいのがキライで一人好きなとばりは、大変だったと思います。
 たぶん、独り占めできていたお父さんを取られた気持ちもあったんでしょう。
 それでも、なんだかんだでわたのめんどうをよく見てくれていました。
 一つ覚えているのは、まだ子どもだった頃のわたが体調を崩して寝ていた前に、鳥を捕まえて運んで来たんです。
 びっくりさせられたんですが、とばりは本当に頭が良くって優しいんです。
 そんな二人とだけだ、と思っていたのになんの考えもできない自分は、その後も家族を増やしていきました。
 ご飯だけ食べに来る風来坊のまだらは、わたと仲良くなったのでウチの子に。
 痩せて右目も塞がって、でも僕の方へ泣きながら歩いて来てくれたほむら、
 潜りにいった大度海岸でグタッとなっていた子が実は前回近寄って来ていた子だと分かりウチの子になったむさし、
 そして知り合いさんのマンション前で救われてウチに連れて来られ末っ子になってくれたつむじ。
 家族が増える度にとばりは、そしてわたも、呆れ顔をしてでも面倒を見たり遊んでくれたり。
 その分遊んであげる事が少なくなっていったのに。
 それでも、とばりは僕のことが大好きでした。
 誰に懐かなくても、たまに甘えに来ては僕を喜ばせてくれていました。
 ツンデレで、気が強くって、一人好きで、でも本当は優しくて甘えたがりなとばり。
 弟たちに分からない様に譲ってあげていたんです。
 去年の今ごろ、むさしの腎臓病が発覚しました。
 緊急入院から帰って来ても毎日病院に行く日々が続いたり、発作を起こした時はもうダメかと思いながらも一晩中むさしの名前を呼び続け朝を迎えて二度目の緊急入院、慣れない自宅療養に自分もむさしも他のみんなも疲れてそれでもむさしは頑張って今年の二月、数ヶ月ぶりに自分の力でごはんを食べてくれた時、そしてどんどん食べれる様になり一日分を自力で食べて家の周りを散歩できる様にまで回復して体重も半分になっていたところからほぼ元どうりに取り戻し、そこから少しの揺れ幅はありながらも安定してきたむさしは、すっかり元の丸まった可愛らしい体型を取り戻し、そしてGPSで6kmものお散歩をしている事まで発覚、
 でもそれだけ元気に、調子を取り戻してくれているんです。
 本当に、むさしはすごい子です。
 だから、このままの日々が続いて行くと思っていました。

『責任を持って飼うなら完全室内飼いでないと』
 そういう意見がある事は知っています。
 過去にわたつみとほむらを失踪させてしまった時にも、厳しく言ってもらった事も覚えています。
 今回、その言葉の意味をやっと分かった気もしています。
 ですが、と言うのは子供じみていますが、やはり閉じ込めてしまうのは可哀想だと思ってしまうのです。
 そんな事を言うから事故なんかを起こしてその方が可哀想じゃないのか、と言われるのも分かります。
 自分勝手なエゴなのかもしれません。
 それでも、できる限り自由にさせてあげたいんです。
 そんな事の顛末で、たくさんの人に迷惑をかけてこんな長文でお目汚しをするのもダメな事でしょうが。
 何が正解で何が間違っているのか、今の僕にはわかりません。

 エゴだと言われても、僕はとばりと出会って幸せでした。
 わたもまだらもほむもむーもつーも、みんなお姉ちゃんが大好きでした。
 とばりが大好きで追っかけていました。
 逃げて嫌がりながらも、とばりは面倒をみてくれていました。
 そしてとばりは、弟たちや僕たちに、たくさんのものを贈ってくれました。
 車で走っている時も、病院帰りにダッシュボードに乗って外を眺めていたとばりの姿を思い出し、笑顔が浮かんでいる自分に気づくんです。
 足元にひっつく様に丸まりに来ている姿や、水を出してと洗面所から呼ぶ声、甘えて来る時や嬉しい時の少し舌を巻いている様な声、そんな全てを見たり聞こえたりする度に、そして喋りかけてくれた事を感じた時、自然と笑顔になっている自分に気づくんです。
 たぶんこういう事を『幸せ』と言うんじゃないかと思うんです。

 とばりは、たくさんのものを僕に贈ってくれました。
 とばりの事を前以上に考える時間を、そしてとばりを前以上に感じられるこの時間を、それらすべてが幸せです。
 とばりは弟たちも連れて来てくれたんだと思います。
 そんな運命の糸を手繰り寄せてくれたんだと。
 僕自身を、沖縄に呼んでくれたのもそうなのかと思っています。
 ここの前の場所で出会えた事も、京都から糸満へ引っ越して来た事も、そうなる様に辛かった仕事を続けていた事も、全部とばりと会う為だったんじゃないかと思えるんです。
 そしてとばりと出会い、ここでやどを始め、たくさんのお客様も連れて来てくれました。
 僕とお客様を繋いでくれたり、お客様同士を繋げてくれたり。
 それら全部、とばりが運んで来てくれた事だと思えてならないんです。
 そんな中で、一人のお客様と出会いました。
 わたがまだ子供の頃、まだ小さくって白フワでとばりとも一緒にいてあげれた頃。
 その方にわたととばりはとても気に入ってもらえて、たくさんの写真を見てもらいました。
 そんなやり取りをして行くうちに、たくさんの話を重ねていきました。
 そんな中で、生命に対する目線が同じだなと感じ、素敵だなと思う様になり、そして付き合いが始まりました。
 その女性は、今僕と一緒にやどをやってくれています。
 この春から半年を超え、今ではやどの事もみんなの事もそして僕の事も一番理解してくれている、無くてはならない人です。
 とばりが連れて来てくれた女性の名を、香織と言います。
 香織は、とばりもわたもまだらもほむもむーもつーも、みんなの事を僕と同じ目線で愛してくれる女性です。
 この半年、二人でやどをやって来てたくさんの事を乗り越えてむさしの病状も落ち着いて、これからみんなで頑張っていこう、そんな時でした。
 二人で、泣き止んでも涙が止まってもずっと、ずっと泣いていました。
 僕がダメな時は香織が、香織がダメな時は僕が、お互いに支えて落ち着いていきました。
 香織がいたから、なんとか自分を保てたと思ってます。
 みんながいたから、なんとか今いられる気がしています・・・

 そんな香織が僕に言ってくれました。
 『とばりは生きる力を贈ってくれたんだよ。前に進む力を。』
 とばりを抱いていた時のシャツの胸には、とばりの血が残っています。
 ちょうど僕の心臓の上です。
 とばりは僕の胸に入ってくれたんだと思います。
 僕と一つになって、これからずっと一緒に歩いてくれるんです。
 すべてが止まったあの瞬間から、歩き出す力を。
 『生きる』って事を教えてくれた気がします。
 そんな事も全て、とばりが僕に贈ってくれたんです。
 本当なら、もっと前に気づきたかった。
 少しづつでも気づいて、とばりと生きていきたかった。
 出来るなら、もう一回だけでいいから、とばりをこの腕に抱いて、抱きしめて、名前を呼んであげたい。
 その想いはずっと残るでしょう。
 何でもない毎日で良い、
 ただいてくれるだけで、
 ただそこにいてくれれば良かった、
 その想いはずっと残るでしょう。

 僕たちにはとばりが見えています。
 感じることができます。
 いつでも、とばりと会うことができます。
 悲しいことや寂しいことは、日毎に少しづつ薄れていってるのかもしれませんが、変わらずあります。
 でも、とばりはずっとずっと、これからずっと僕たちと一緒です。
 いつかその時が来てとばりを腕に抱き上げられたその時に、とばりに笑われない様に、とばりに怒られない様に、しっかり生きて行きたいと思っています。
 今もすぐ隣でむさしの寝息が聞こえています。
 ほむらも一緒です。
 お姉ちゃん大好きなわたつみも、やんちゃ坊主のつむじもいます。
 まだらも家で寝ませんがちゃんといます。
 そして香織と、とばり。
 みんなで、これからずっとやど有を守って行きます。
 みんなの家でありとばりのお家であるこのやど有を、しっかりと守って行きます。
 これからも沢山の事が待ち受けている事でしょう。
 でも、みんなで力を合わせて乗り越えて行きます。
 今まで来ていただいた、そしてこれから来ていただけるお客様をここでお待ちして行きたいから。
 だから皆さん、どうぞこれからもよろしくお願いします。
 相変わらず歩みがノロく至らないところばかり見せてしまうかも知れませんが、
 わたつみ、まだら、ほむら、むさし、つむじ、そして香織と
 そして最愛の一人娘、とばり
 みんなでやって行くこのやど有を、どうかよろしくお願い致します。

世界で一番大好きで、
世界で一番可愛くて、
世界で一番大切な、
お父さんのたからもの、
とばり、大好きだよ・・・

令和元年11月12日
やど有 主 有本 雅紀